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僕は5才の時、両親に無理やり道場に連れて行かれました。
初めての稽古の時は、怖くて泣いて逃げ出し、両親のいる車まで裸足で走って行きました。しかし両親はそんな僕を放って帰り、仕方なく僕は泣きながら稽古をしました。
小学2年生の時、初めて全日本大会に出場しましたが3回戦で負けてしまいました。それがとても悔しくて「次は絶対優勝するぞ」と思い、毎日6kmの走り込みをしました。そして1年後に全日本大会で優勝することができ、とてもうれしかったです。
小学5年生になる春には秦師範から「西ロシア大会に出るか?」と言われ師範にロシアに連れて行ってもらいました。春休みに、一緒に西ロシア大会に出場する友達と師範に特別稽古をしてもらい、頑張ったかいがあって大会では優勝することが出来ました。
高学年になると周りの人たちとの身長差が気になり、試合の戦い方に背の低い僕は色々悩みました。その時に、大阪なみはや支部の田ヶ原師範に出会い軽量級の戦い方を教えてもらいました。今までとは違うスタイルなので、毎日鏡の前で稽古をしました。
そして6年生になった時、師範から「大仏杯で三連覇した人はいるけど、四連覇はいないから人に出来ないことをやりなさい」と言われました。僕は小学校最後の目標として「大仏杯四連覇」を心に決め、大仏杯だけに向けて調整、稽古を行いました。その結果、大仏杯で優勝することができ、師範との約束が守れてとてもうれしかったです。師範が「よく約束を守ったね」と言って今年の合同初稽古のときに、特別賞として大山総裁の牛殺しの盾をプレゼントしてくださいました。
今回の黒帯審査では、十人組手が始まる前に秦師範が「気合、気力、気迫で頑張れ!」と声を掛けて下さいました。僕は「絶対倒れないぞ」と心に思い組手を行いました。6人目までは思う様に体が動き、技ありや、一本勝ちもしたけれど、7人目からは僕のサポートに付いてくれた黒帯の先輩たちが相手でした。体がだんだん動かなくなり、とてもしんどかったです。そして、最後まで倒れることなく十人組手を完遂出来て良かったです。
十人組手をしてくれた6人、サポートと相手をしてくださった4人の黒帯の先輩、応援してくれた皆さん有難うございました。
最後に、秦師範本当にありがとうございました。「押忍」 |